手打ちうどんの難しさ 冬から春の加水率

手打ちうどんの加水率は いつも同じではない

手打ちうどんを作られている方は、当然わかることだと思います。土三寒六常五杯と言われるように、季節によって加水率は変化します。常に50%ではありません。だから難しく悩んでしまう。そこが面白い(笑)・・。

寒い冬が過ぎて春になるころ

雪が降り、こたつに入って暖を取っていた冬から、いつの間にか桜が咲き、ツバメも巣作りに忙しいようです。気温も上がってきました。かといって、そんなに暖かくなく、夏に比べれば過ごしやすい季節です。花が咲き、鳥が囀り、これから夏へと向かいます。なんとなく季節の変わりようが体で感じる今日この頃でごんざります。

この季節が変わる頃、私たちの体も寒くて動かずにこたつに潜り込んでいた時から、そろそろ出かけようかと花見シーズンを迎えます。うどん作りにも変化があると感じるのです。

 

寒い冬から春への変化がうどんの生地に!

私は寒いときの手打ちうどん作りはやりやすいのですが、これから暑くなるとやりにくさを感じるのです。うどん同士がくっついたり、うどん自体の重さで伸びたり、うどん作りの作業が大変になってきます。うどん作りも100gや200gぐらいなら感じないかもわかりませんが、重たいうどんの生地で打つとうどん一本でも真ん中を持つとダラーンとなり伸びることがあります。そこで塩水の塩分濃度を変えたり、加水率を変えたり調節をします。ここに落とし穴が潜んでいます(笑)。

 

手打ちうどんを作っていると日々違う

私たちは、いつもしていることだからと・・・。あまり気にせずに過ごすことがあります。昨日がよかったから今日も大丈夫という気持ちがあります。

寒い冬から春へと向かい、加水率を2%減らしました。これでうどん打ちの作業はやりやすくなり、食しても同じだと感じました。でも、茹でた後の麺を触ると・・・固く感じました。試食すると確かに硬いのです。いつも作っている手打ちうどんとは味が違います。あの時同じだと思っていたのに、今、食べると固く感じる。これはダメだと加水率を確かめました。約1%増やしてうどん作りをして調節しました。0.5%から1%でうどんの味が変わります。量が多いうどん生地を作れば1%は100gだと塩水1gですが1000gだと10gの塩水になります。小麦粉の量が多いと、たった1%でも開きがあります。

いつものうどんの味を覚えているから、考えてしまいます。うどんの作業のやりやすさとうどんの味は比例しないかもわかりませんが、加水率が少ないと捏ねにくいし足で踏みにくい。柔らかいと包丁で切りにくいし、ほぐしにくいのです。試食をしてみるということの大切さや、いつもと同じと思いがちな自分自身に気付かされます。最悪硬いと感じたときは、茹で時間を長くとり対処します。

 

いつものうどんと違うと気づいたのは

うどんを茹でて水で〆て手で触ると、ある程度、いつものうどんかどうかわかります。1,2本試しに食せば、当然もっとわかります。・・・ところがです。それだけでは、本当にはわからないということに気が付きます。やはり、一人前食さなければ感じないところもあります。ひとつは飽きてくる味というか、食べるほどいつもの味ではないことに気が付きます。それは弾力、粘り、もちもちさ、食感です。小麦の味がしなくなるのは塩の入れすぎで塩の味が勝っているからだと思います。でも弾力は塩の働きだと思います。

いつものうどんと違ったのは加水率だと感じました。気候が良くなって温度も高くなり、加水を少なめにしてしまったからです。それに気づくと足で踏んだ時、少し硬かったとか、団子にするとき、いつもより力がいったなぁと・・・後で気づくのです(笑)。これではダメなのですが・・・。

 

美味しいと思えるうどんの加水率

美味しいと思えるうどんは、絶対のど越し、いや、もちもち感と、きっと人によって違うのでしょう。でも美味しいうどんって食したら感じますよね(笑)。人が、ということは言えないので、自分が美味しいと思えるうどんを作る加水率とは・・・。私にとっては難しいですね。ただ、目で見ての判断でオカラ状かどうか、ビー玉状になっているかどうかぐらいはわかると思います。そして、粉状か、粒状かで判断することが目安だと私の場合は思います。次に手触りで決めます。指を拡げて救い上げ、手に当たる感覚で感じたことを記憶しています。昨日より今日はどうかと比べます。そうなんです。前回作った状態を参考にして、今日の状態を考えています。これが大事なのではと思います。昨日、今日、明日はどうしようかということが経験の積み重ねで獲得していくしかありません。もし美味しいうどんを作る加水率はと聞かれれば、何回も作り、昨日より今日、明日というように加水率を決めていくしかないし、加水率は固定されたものではなく、状況によって加水率は変化します。

冬から春へと向かうときは、加水率を少なくすること、逆に、夏から冬は多くすることです。ある程度の数値化は出来ますが、実際に作るときは参考にすぎません。でも、この数値化があるから基準がわかり、そこから足したり、減らしたりします。当然減らすことは入れてしまえばできませんから、加水する前に減らしておきます。水回しの場合、足していくことで決めていくことになります。

うどん打ちの数値化あるいは融合感

うどんを打つ時に数値化

うどんは小麦粉と塩水でできています。さて、うどんを打つ場合に量が頭に浮かびます。例えば100gの小麦粉で打とうと思うと、塩と水の割合はどれくらい、塩水はどれくらいとイメージします。春夏秋冬、1年間打っていると夏は塩を多く、冬は少なくとかわかってきます。毎日打っていると、昨日はこれぐらいだったから今日はこれぐらいとイメージできます。もちろん、それが正しいとは限りませんが、ある程度の数値化がなされます。一般には小麦粉に対して塩水は50%と言われますが、これはあくまで平均値であり、だいたいの値です。ただ数値化は頼りになり、そこからイメージもわきます。数値化をすることは大事だと思います。

しかし、数値化が出来ないときが大半です。数値化していても、それは過去のことであり、今、目の前にしているものは、温度、湿度、小麦粉などの違いがあります。小麦粉も一袋ずつ異なるかもわかりません。小麦粉の新しい、古い、取れたところも違うかもわかりません。また、自分自身も疲れているときや眠たいときなどで変化します。手が温いときや冷たいときもあります。

これから考えるのは数値化できない状態をどうとらえるのかということです。私は数値化に頼るだけでなく、融合感だと思っています。

 

融合感と間隔感について

私たちの周りには数値化できないものが多くあります。野球で言えば、ピッチャーの玉が150キロなら、そのスピードが数字として出ます。しかし、バッターからすれば数字以上のスピードを感じたり、遅く感じたりします。バッターはヒットを打とうとするけれど空振りする場合、へだたりというか間隔を感じます。上手くミートすれば、その感覚を覚え融合を感じます。経験することで間隔感から融合感へと変化します。これを数値化しろと言われても難しいでしょう。

うどん打ちの水回しで約50%の塩水でしても、どうも柔らかく感じたり、固く感じたり、十分な加水ではないということもあります。なんか隔たりがあり間隔があるのです。

小麦粉を足すということはできないので塩水を、少し少なくして、徐々に融合するように考えます。このとき、気温、湿度などイメージし、小麦粉の色を見たり、手触りを感じて水回しをします。その時の場の環境、クーラーをつけた部屋か、湿度の多い部屋か、小麦粉に含まれる水分は約14%ぐらいとされていますがどうなのか、いろいろな場を考え自分と小麦粉と塩水と対話をします。塩水が少ない状態は間隔感があり、少しずつ塩水を加えて融合するように間隔感を研ぎ澄ますしかありません。

 

融合感を感じるということ

例えば生地を足で踏んで鍛える場合、何回踏めばいいかという質問は難しく答えにくいものです。体重も違いがあるし、また、いつも足踏みを数えてしていることはありません。言葉で表現するには難しく、足の裏で感じるものがあるので、それが融合感としての答えです。1回目は粒状から面として、一つに生地にしていくことと、2回目からは生地からの反発力を感じるしかありません。何回かしているうちに、なかなか伸びなくなり、踵を使って踏んでも伸びにくくなった時が融合感だと思っています。これは個々人違う感覚であって、こうでないとダメだということは言えません。うどんを作って食べてみてわかることだと思います。そして、次はどのようにすれば美味しいうどんを作れるかを考えるきっかけになるものです。数値では表せない融合感を感じることです。

 

経験の大切さ

うどん打ちを何回も経験することで、自分が作るうどん打ちの融合感を感じれます。何回も積み重ねることで体が覚えるものだということかもわかりません。春夏秋冬と一年通して感じることがあり、一日や二日でわかるものではありません。

 

体とモノの融合感

麺棒で生地を伸ばす場合や包丁で生地を切る場合は体がどうあるべきかという融合感を考えます。必ず体重移動を知ることです。これは自然知です。自然な動きを知ることでしなやかな動きになります。人間は乳児の場合、4ヶ月ごろに手を伸ばし吊っているおもちゃに触ろうとします。5,6ヶ月に寝返り、そしてハイハイへと移行します。立って歩くのは1歳過ぎてからになります。そして、跳ぼうとする場合、体を斜めに傾けて跳ぶのが2歳過ぎで、4,5歳ごろから左手と右手が分化して右手に包丁を持ち、左手を生地に添えて切るという動作が確立します。このときから労働としての芽生えが大きくなり、身体全体と指先にまで神経をとがらせて、しなやかな動きになります。

しかし、これが労働としての芽生えであり、より人間らしい動きで労働に磨きがかかります。・・・と私は思っています。麺棒で生地を伸ばす場合、体を、どのように体重移動すればいいのか経験でわかってきます。これが自然を知るということだと考えています。体の動きと生地との間隔感から融合感へと移行していきます。

 

まとめに

数値化できる場合はいいのですが、なかなか数値化できないのが大半です。私たちは自然を知り、体と環境との隔たりを感じ、間隔感から融合感へと移行しようとします。多くのことを経験しながら知っていくことしかありません。人間は労働を生みだし、労働することによって、より人間らしくなるものだと思います。

手打ちうどんの技

手打ちうどんの技

美味しいうどんを作れといわれてもどう作るんやら・・。美味しいものを食べたいのは当然ですが・・。理屈はいらん。美味しいうどんを作れたらええ。食べれたらええ。この難題に立ち向かうのですが・・・。私は、こう思うというしかありません。自分の感じを文章に表現するしか私には手立てがないっすよ。

 

手打ちうどん作りの技ってあるの

機械はテクニック、技術を使います。手打ちうどんは人が作り、技能、技でつくります。身体を使ってうどん作りをするのですが、その意味は体の体重移動、そして、手、足、目などの協応動作にあります。道具を使って作るには手指や足、そして目で見るなどの協応動作が大切だと思います。

 

水回しの技

水回しって水を回すんかぁと思われるが、そうでもありません。手合わせとも言われますが、まさか旨くなれと手を合わせて祈るのでもありません。小麦粉に塩水を全体に加えていくことです。いわばむらなく塩水を小麦粉全体に吸収させることです。押さえたり力を入れたりすると小麦粉は押されたところ、力が加わったところだけが水を吸収してしまいます。オカラのような粉っぽさがなくなって、しっとりするような感じにしていきます。粉っぽいときは白色ですが、塩水を吸収すると色が黄色っぽくなります。色で見分け目で見て粉から粒の状態に変化したのを見極めます。私は指先をくっつけないで離して熊手のようにして混ぜます。なるべく力を加えないようにすることがコツだと思います。
加水率は塩分濃度によっても、季節によっても、小麦粉の状態によっても違ってきます。私が今まで経験してきたところでは加水率42%から55%までの範囲でできました。ですから加水率はと聞かれても返答に困ってしまうのです。だいたい50%前後としか言えません。数字は、ある程度の目安にして、本来の小麦の色、粉っぽさの状態を見極めるしかありません。答えは「いいかい坊や お空を吹く風が知ってるだけさ~」およよっ、ボブ・ディランの風に吹かれてかぁ。私の答えは、粉っぽさから、粒になった時に終えると考えています。

足ふみの技

水回しの後の工程で足ふみがあります・・。捏ねるわけなんですが・・。手で捏ねるには大変なので、ビニール袋などに生地を入れてビニール袋の上から足で踏みます。もちろん体重が生地にかかるのですから生地が押されていきます。人間は二足歩行をしてきました。足裏の内側はクッションになっていてブリッジになっているので使いません。足の外側か、踵を使って踏みます。空気を抜きながら足で押すというよりは横とつなげるという意識で踏んでいます。折り曲げては踏み、何回も踏んでいると踏むのに力がいるようになります。これはグルテンが形成されている状態だと私は考えます。グルテンは押されれば押し返す力を持ち弾力性があります。

麺棒の技

うどんは生地を寝かせてからのばします。蕎麦打ちとは違うところです。蕎麦もうどんも生地を麺棒で伸ばします。麺棒が凹凸になっているのを見たことがありません(笑)。その辺の丸い棒でええやんとは言えないのです。伸ばすなら凹凸があってもいいはずなのですが・・・。やはり、凸凹のない丸い、すべすべした木がいいようです。ここに一つのヒントがあります。つまり、のしとは、ただ伸ばして麺の厚さにするというだけではないと思います。生地の表面を平らにして、うまく光を反射させるようになめらかな生地を作っているのです。というのが私の考えです。
二つの理由から麺棒に絡めて伸ばすという角だし、本のしのやり方と、もう一つ、微調整をしながら麺棒を転がしているのです。麺棒という道具を、どう使うかということが手打ちうどんのだいご味でもあります。
私は、早く作れる経験の豊かな方とあまり経験のない方と、うどんはどちらが旨いか。もちろん食べてみないとわかりませんし、人それぞれですが経験のない方の麺はのど越しがいいと思えることがあります。早く作るのに越したことはありません。乾燥させないうちに作るというのも技です。
何が言いたいか、それは生地をなめらかにする技があるのではと思っているのです。

包丁切りの技

包丁のどこをもって切れば使いやすいか。これを自分で確かめることです。麺を茹でると少し太くなるのを考えて切ります。機械なら一定の速さと太さで切ってくれます。人間は同じように切っても微妙に違います。
包丁で切るとき生地の全体を見ることはできません。包丁の全体を見ることも難しいです。人間の視界には死角があります。車の運転でバックをするときミラーを見ながら、あたかも後ろに目があるように運転します。これらは経験がなせる業です。包丁も上から下まで見えないのなら上と真ん中を見れば、麺の幅はおのずと決まってきます。包丁での切り方も経験がなせる技であると思っています。

 

美味しい手打ちうどんづくり

手打ちうどんで作った麺は機械で作った麺より美味しいでしょうか。手打ちの麺は、そろっているようで微妙に違います。機械麺は速くできて、量をこなせて、作り手としては楽で誰でも機械の操作を覚えればうどんが出来てしまう。人が作った麺は本当においしいのでしょうか。

 

人が作る手打ちうどん

人が作ったうどんは美味しいとは、そう簡単には言えません。機械でも美味しいうどんが作れるからです。ただ言えるのは、人が作ったうどんは大変な労力をかけて作ります。ああでもない、こうでもないと考え悩みながら作ります。機械は同じ場所で同じ動きで作りますが、人の場合は違います。足のつま先を立てたり、巧みな手指の操作で小麦粉を扱ったり、体重移動をして生地を作ったり、目と手と足を協応させながら作ります。
同じ小麦粉であっても、同じ塩であっても、それぞれ作り手の味があります。人が作ったうどんは人それぞれの味があります。これだから手打ちうどんは面白いし、いろんな美味しさが味わえるのです。