ツルツルのうどんと表面について

うどんがツルツルとうどんの表面

うどんがツルツルだと、のど越しがいいということかもしれません。最近、冷凍うどんがツルツルだと評判です。その理由はでんぷん質を含ませて作るからです。例えば、タピオカでんぷん、加工でんぷんなどを含むと美味しいつるつるのうどんができるとか・・・。確かにつるつるのうどんになるようです。でも、小麦の量は少なくなり、小麦粉のわずかな香りが消えてしまいます。そして、加工でんぷんというのは食品添加物です。いくらつるつるになり美味しいからといって加工でんぷんを入れるのはどうかと私は思います。

うどんの表面についてですが、滑らかな表面ほどツルツルといえるでしょう。でも人が食するときに、うどんがツルツルでのど越しがいいと思うのは表面が凹凸ではだめなのでしょうか。このことを述べてみたいと思います。

 

胚乳中心の小麦粉と外皮に近い小麦粉

小麦粉の製粉が機械化されてから、滑らかな美味しいうどんができるようになりました。機械で製粉すると胚乳部のみを小麦粉にします。きめ細かな小麦粉で美味しいうどんができます。

外皮を含んだ全粒粉は、どうしてもざらざらした小麦粉です。全粒粉十割でうどんを作ると千切れやすく、のど越しの良く無いうどんになります。ミネラル分、食物繊維は豊富なのですが、いつも食べているうどんと比べると、食べにくいうどんになります。全粒粉二割から四割ぐらいまでは、のど越しもよく食せますが、舌がざらつくのを感じます。もし、のど越しのいいうどんを作りたいなら胚乳中心の小麦粉を選ぶべきでしょう。ただし小麦粉の香りは外皮に近いほど香るので欠点もあります。また、胚乳中心の小麦粉は甘さもあります。

 

全粒粉二割うどん

 

この写真は全粒粉二割のうどんです。うどん表面をみると、少し凸凹なのが分かります。それでも滑らかさはあります。全粒粉を六割以上加えるとざらざら感を感じます。

もう一つ例を出しますと、黒米うどんです。このうどんも二割が黒米をミルでつぶして小麦粉に混ぜました。

 

黒米うどんも表面は粒粒になりますが、つるつる感があり、のど越しも悪くありません。試したことはありませんが黒米を多く入れると、たぶんグルテンが少なくなるので千切れてしまうと思います。二割ぐらいなら美味しく食せます。

 

打ち粉とうどんの表面

打ち粉は、生地が麺打ち台、麺棒、麺切り包丁にくっつかないように粉を振ります。打ち粉はコーンスターチ、米粉、片栗粉、小麦粉で代用できます。小麦粉は時間が短ければ大丈夫ですが、長い時間置いておくと麺同士がくっつきます。また、片栗粉は茹でると茹で湯がトロッなり、あまり向きません。私は米粉を使用しています。

打ち粉ですが、本来麺同士や道具にくっつかないように振ります。この打ち粉を多く使い麺棒でのして茹でてみるとどうなるかを見てみます。打ち子は片栗粉にしました。生地に片栗粉を多くまぶしてうどんを作ります。そして、出来上がりを茹でて水で〆て見てみると凹凸があります。片栗粉の打ち粉が水洗いしても残るのです。

 

 

しかし、このように凸凹でも食するとつるつる感があり、のど越しはいいように私は思います。表面が凸凹でも綺麗でもつるつる感はあるのかもわかりません。

さすれば何が原因なのかと考えます。全粒粉で試したように粉によって変わります。灰分が高いとのど越しがどうかなと私は感じるのです。もう一つは、うどんの香りや甘さというか、味が食べやすくするのかもわかりません。また、凸凹であっても表面がつるつるなら、のど越しもいいうどんになると感じます。はっきりとしたことは言えませんが、そう思っています。

 

美味しいうどんについて

美味しいうどんの素顔

うどんには薬味、醤油、汁などで食べますが、これから述べる美味しいうどんとは麺そのもので考えたいと思います。美味しいうどんって人によって好みもあるだろうし、これが美味しいうどんだと断定は私にはできませんが、私の考える美味しいうどんを述べてみたいと思います。

 

茹でたてのうどんと茹で置きのうどん

うどんは茹でたてと茹で置きのうどんがあればどちらを食べるかとすれば、大半の人は茹でたてのうどんというのではないでしょうか。かけうどんの場合だと温かい汁によって、さほど感じませんが、冷たい醤油うどんだと、断然ゆでたてのほうが美味しいと思います。最近はうどんは茹でたてという言葉が浸透してきたので多くの人がそう思います。これは当たっているのではないでしょうか。うどんは茹でた後劣化が進みます。茹でたてが旨い、しかし、茹で時間は待たなければ食べられないのです。うまくいけば茹でたてに当たることもありますが(笑)・・・。

時間を置くと、しっかりとしていたうどんがノリ状のような食感になり、柔らかくなって美味しく感じません。茹でたてのうどんを水で〆て、すぐに食べると弾力性があり、つるつるのような感じがします。美味しいうどんは茹で置きより茹でたてのうどんが旨いと思います。

 

細いうどんと太いうどん

細いうどんはのど越しのいいうどんといえるかもわかりません。例えば、そうめん、冷や麦などを食べてみると感じると思います。太い麺はもちもち感を感じます。そうめんや冷や麦とは違い、あまり細いとうどんの味がないように思います。太いうどんは食べにくい、のど越しがよくないと感じます。まあ、私の独断で言っていますが・・・。うどんの味ってありませんか。冷や麦やそうめんとは違ううどんの味があるはずです。甘みを感じたり、わずかな小麦の香りを感じたりしませんか。美味しいうどんってうどんの味がすると思うのですが、どうでしょうか。答えをはぐらかすようですが、私は細いうどんであっても、太いうどんであっても、うどんの味がするのが美味しいうどんだと感じるのです。

 

甘いうどんが美味しいのか

甘いうどんとは・・・。小麦粉って胚乳の中心部は甘いようです。そんなに甘くはありませんが甘みを感じる小麦粉です。なんとなく甘みを感じるうどんを食べると、どうもおいしくありません。これは私だけの感覚かもわかりませんが、お菓子用の灰分の低い小麦粉で作ったことがありますが、ほんの少し甘いと感じたとき私には抵抗がありました。これをいっぱいは食べられないなと(笑)・・。やはり、うどんって微妙に味を感じるのがいいかも・・・。うどんは甘い味だけではないような気がします。

 

機械打ちのうどんと手打ちうどん

香川で足踏みは衛生上どうなのかという問題で機械が導入されたり、繁盛店では機械で数をこなさなければ回せないとか、いろいろな事情があると思います。昔から考えれば道具使用はあっても機械の使用はありませんでした。今や時代はロボット化されようとし、場面に合った言葉までも言える人工頭脳を持ったものがあるという時代です。

私は機械でうどんを打ったことがないので、単なる知識でしかありませんが、機械打ちは見事に一本一本同じうどんが作られます。そこまで手打ちではできません。微妙に幅が異なります。うどん作りの工程でも機械打ちと手打ちと同じような動作で作られるようになり、綺麗な美味しいうどんが出来上がります。

手打ちうどんを打とうと思うと時間と力が必要です。そして、それぞれの作る人の技が含まれ伝統による築かれたものがあります。手打ちうどん作りには人それぞれの技がみえます。それは道具を使用する手や体を備えているということかもしれません。手指の親指と人差し指の動議使用の指、体重移動する斜めの姿勢、足を浮かせて足の指で立ち体の調節や移動の素早さに反応します。目で見て体を動かし、リズムをとってしなやかに動かす人の技は様になっているのです。

美味しいうどんとは、機械打ちのうどんか、手打ちうどんかという問題もはぐらかすようですが、どちらも美味しいと思います。私は機械打ちに負けない美味しいうどんを作ろうとしています。機械打ちも、きっと、美味しいうどんを作ろうと日々考えられているのではないでしょうか。

 

自分と他者の味覚

カレーライスを食べるとき、辛いカレーが好きな人や甘いカレーが好きな人がいるように、人それぞれ味覚は違います。例えば、美味しいうどんのランキングは人が決めます。作り手の自分は美味しいうどんを作っているはずなのにべべちゃんとはどういうことなのか(笑)。

美味しいうどんとは、こういうものだというのを人から意見を聞いて、美味しさを追求しようとする自分があります。考えてひらめくこともありますが、作って試すのが一番確実な方法でしょう。毎日が美味しいうどんを作ろうとすれば、毎日作って考えている自分があるということなのだと思います。

落とし穴として、経験を積み重ねて美味しくなるというのは、当てはまらないこともあります。丁寧にすればするほどいいかというと時間が長くなれば生地に変化が見られ乾燥するかもしれません。綿棒の使い方が上手になればなるほど美味しいうどんができるとも限りません。伸ばす時間が早くなり、きれいに仕上がってものど越しに影響したりします。上手い人は麺棒に生地を巻き付けて伸ばします。最初の人は巻き付けるのが下手で巻かずに伸ばそうとします。さて、どちらのうどんが美味しいかということです。自分自身は仕上がりも時間も早くきれいにできたと思っても食べてみないとわかりません。また、前のうどんと比べないとわからないものです。

他者はあれこれといいます(笑)。このごろはネット社会で口コミが多く、まあ、それによって店の名前も広がるのですが・・・。太いうどんが旨いとか、いや細いうどんがううとか、のど越しがとか、固くておいしくないとか、いろんな意見がネット上で飛び交っています。以前は、口コミを見て返事を書いていたことがありましたが、そこから発展せず、それまでです。コミュニケーションとは名ばかりです。逆に、店側が口コミをみとるとか思われると嫌なので、もう返事は記していません。お客様は神様であり、他者が店の味を決めてくれればいいと考えが変わりました。あまり、人の意見を聞きすぎると方向が分からなくなることもあります。自分は自分と思うことしかありません。参考にしても自分が決めるというスタンスは変えません。

店における美味しいうどんとは、実に難しい。私が美味しいと思ううどんはわかるので、それに近づけるだけです。多くの人がうどんを食されて、美味しいと感じるうどんを提供することがうれしいことであり、明日も作ろうと意欲も出ます。他者に食していただいてうれしさがわかるものです。

うどん作りの加水率について

うどん打ちの加水率

うどんを小麦粉から作ったことがあれば材料は小麦粉、塩と水を用いるというのはわかると思います。こんな小麦粉、塩、水といった3種類でできているなら簡単だと感じるかも知れませんが、これほど難しいものはないと感じます。実は、この材料の他に環境というものが加わります。春夏秋冬の季節に応じた塩水加減を昔、土三寒六常五杯と言われ、冬は塩水を多く、夏は少なく、春と秋はその間ぐらいとうことになります。

 

50%の加水率とは

うどん作りで小麦粉に対して50%の塩水でと言われます。100gの小麦粉なら塩水は50gになります。ところが、これはあくまで、「大体」であって、「答え」ではありません。

この50%の塩水の内容量を見れば、塩を5g入れていたら水は45gになります。塩を10g入れたら水は40gになります。同じ50%の塩水であっても内容量は違います。土三寒六常五杯の言葉でなく、伝えたいことは暑いときはだれてしまったり、腐敗しないようにという意味で塩を多くし、冬は寒いので少なくします。

うどん作りは小麦粉と塩水と環境で「美味しいうどん」という定義があるなら数値化されます。この「美味しいうどん」というのが私が美味しいと思うのと他の人が美味しいと思ううどんとは違うかもしれません。柔らかいうどん、固いうどん、伸びるうどん、もちもちとしたうどんが好きとか人それぞれ好みが違うようです。たとえ「美味しいうどん」を作るとしても加水率は塩加減が違えば加水率は違います。環境が違えば違います。また小麦粉によっても違います、という風に考えると加水率ほどあてにはなりません。

しかし、それでも加水率は数値化するにあたって必要なものです。それは毎日うどんを作っていると加水率を考え、今日は昨日よりどうか、明日はこうなるかもしれないというように予測が立てられます。急に塩水は変わらないし、小麦粉も、そう変わらない。環境もそんなに違いは昨日、今日、明日では微妙に違っても、大きな変化はなく予測が立てられる条件があると思います。

 

加水率の数値化と融合感

加水率を考え、昨日が47%の加水率だったら、塩水を小麦粉に対して少な目の加水率で塩水を用意する方がいいかもわかりません。もちろん、塩水は加水率47%以上の塩水を作っておいて、塩水を少しづつ入れていき、足すことはできても引くことはできません。多く塩水を入れてしまうと失敗します。多く入れすぎたから小麦粉を足せばいいと思うでしょうが、そう簡単に足した小麦粉がまんべんなく塩水になじむことは難しいと思います。昨日と同じ加水率に近づくと、本当に少しずつ足しながら水回しします。足らなければ塩水を足して今日の「美味しいうどん」と思うところで止めます。

私にとって「美味しいうどん」の加水率は小麦粉の粉から粒に変化するところを見極めて決めています。もう加水率ということは考えていない感じです。小麦粉と塩水が融合し私と融合したときが「美味しいうどん」の加水率だと考えています。自分の目で小麦粉の状態を見極めます。一つは色です。塩水を含んでくると小麦粉の色が白色から、なんとなく色が変化し黄色っぽくなります。次に、形です。粉状から粒状になれば加水されたと思っています。水を多く含むと丸い玉になり、大きな玉になると水を入れすぎだと私は思ってしまいます。オカラ状と言われますが難しい。また耳たぶくらいの柔らかさと言われても私は難しいです。ただ、足踏みの段階でさ水が多くなったとか、少ないというのは踏んでいると感じます。でも、ここでわかっても後の祭りですね(笑)。小麦粉をかき回すと手指に当たる感覚があります。軽く当たる感じなら加水が少なく、なんか指先に当たる感じなら加水されたという気持ちがわきます。このときが「美味しいうどん」づくりの私と生地との融合感です。これは私の判断基準で指先が一番微妙さがわかるような気がするのです。私だけかもわかりませんが(笑)・・・。

ということで、加水は実に難しい。そう簡単なものではないということです。たかがうどん。塩水と小麦粉の関係ではないかと思われるでしょうが、本当に「美味しいうどん」という定義があるなら、それに向かうというしかありません。

もっというなら人は、それぞれ体温が違います。温かい手の人は生地が柔らかくなるような気持ちがします。また、早くこなす人と遅く丁寧にする人とは蒸発度を考えると違うのではないのでしょうか。考えたらきりがありません(笑)。私は早くしないと水分がなくなるという思いがあります。特に麺棒でのす時には強くそのことを感じるからです。ゆっくり、のしていると乾燥してしまいます。クーラーなどつけていると特に思います。

 

手打ちうどん作りへの想い

手打ちうどんを作る人は、大変な労力で作ります。「美味しいうどん」を目指して、それぞれの人が自分で苦心して作られる手打ちうどんです。私は手打ちにこだわる方にうまい下手はなく、「美味しいうどん」作りに頑張っておられる方々だと思っております。

カレーうどん

無添加のカレーうどん

市販されているカレー粉のほとんどが食品添加物入りです。カラメル色素、酵母エキス、アミノ酸など表示ラベルを見ると多くの食品添加物が入っています。もし無添加のカレーうどんを作るなら、自分で作るしかないのではと思います。

 

カレーで体にいいのはスパイス

カレー粉はスパイスを何種類か混ぜて使われます。このスパイスは漢方薬にも用いられて食欲増進、疲れなどにいいようです。スパイスはクミン、コリアンダー、クローブス、ウコンなど健康にいいものです。

ところが、ほとんど市販のカレールーには表示ラベルを見るとカラメル色素、アミノ酸などの食品添加物も含まれています。食品添加物を使わないようにするにはルーは市販に頼らずに自分で作ればいいのです。

 

主に使われるスパイス

カレーに使われるスパイスはコリアンダー、クミン、フェンネル、クローブス、シナモン、ウコン、唐辛子などです。ウコンは色付けのために使われ、唐辛子は辛みです。クローブスは独特な味がするので、最初は抵抗がありますが、加えれば美味しくなります。とろみをつけるには片栗粉を用いますがカレーうどんは汁っぽいので冷めていくととろみが消えていく感じになるので小麦粉を使います。私の店ではコリアンダー、クミン、フェンネルなどを加え、少なめに唐辛子、クローブス、シナモンを混ぜて小麦粉には全粒粉を使っています。これらをフライパンで煎ってきつね色になったところで寝かせて出来上がりです。バターなどは使わず。あくまで食品添加物は不要です。

 

カレーうどんの作り方

カレーうどんの作り方ですが店によって違いはあると思います。カレー粉はコリアンダー、クミン、クローブス、フェンネル、唐辛子、ウコン、全粒粉をフライパンに入れてきつね色になるまで混ぜます。

カレー粉作り

煎ったカレー粉を冷まして容器に入れて寝かしたのちに使用します。

 

私はカレーうどんの汁に、いりこ、鰹節、昆布で出汁を作り、醤油を加えて和風にして、コクに黒糖、酒、玉ねぎを煮詰めてペースト状にしたものを入れます。そして作った自家製のカレー粉を出し汁で溶いて混ぜて煮れば出来上がりです。

カレーうどん

 

カレーうどんとカレーライス

一般に、カレーライスはごはんに絡むように作られます。カレーうどんはうどんと絡むように作られています。私の感じですがカレーうどんのルーにご飯を添えてもべちょべちょ過ぎて美味しく感じません。カレーライスの場合はとろみを多くつける方がいいと思っています。カレーうどんとカレーライスは別物だと思っているぐらいです(笑)。

カレーうどんのカレーは出汁の味は消えるけれども醤油味でありながらカレーの独特の旨さとスパイスの味と辛さががあります。これだけでも味が単調なのでコクを付けます。トマト、リンゴを入れていた時期もありますが、和風のカレー味にあった玉ねぎを今では用いています。ですから、私のカレーにはカレーライスには合いません。カレーライスにかけるカレーをうどんにかけるのとは違います。味は人それぞれ、私は、そう感じます。

保育園で手打ちうどんを作るには

保育園で発達を考えた手打ちうどんづくり

乳児から年長児まで、手打ちうどんを作るにはどうしたらいいのでしょうか。乳児は小麦粉と遊ぶことから始まり、細長くて美味しいうどんを年長児で道具を起用に使って手打ちうどんを作りましょう。そのためには発達に即したうどん作りが必要だと思います。乳幼児たちは人とモノの環境の中で生活し、成長発達していきます。目で見つめ、手で触り、足で歩く。やがて、人として道具の使用を獲得しようとします。遊びでおもちゃのスコップを持ったり、コップを使って砂遊びをしたりします。食事でスプーンを持ったり、コップを持ったりします。小指側から持ち、やがて親指や人差し指側から持つようになり、同じコップでも遊びで使うおもちゃと食事に使うものと用途を知るようになります。体が自由に動き、しなやかに身体を動かすようになれば、うどん作りに使用する麺棒や包丁も使えるようになってきます。

私たちは産まれて、すぐに歩くことはできません。首が座り、寝返り、ハイハイ、やがて、つかまり立ちから歩けるようになります。歩行を開始すると、道具使用を覚え、両足とび、体を斜めの姿勢にして跳ぶことも獲得してきます。スキップやギャロップ、側転としなやかに身体で表現しようとします。手打ちうどん作りは保育園で生活する中で獲得する技です。

 

新生児の目から幼児の目

産まれてきた子は呼吸をし、やがて目が見えるようになります。目がカメラなら、体は三脚か、例えがよくありませんが、産まれてきた子はボヤっと近くのものを見つめますが、上下左右を見ることはできません。首が座ることになれば180度見えてきます。4ヶ月ごろ、ベッドなどに吊るされたおもちゃへ手を自発的に伸ばそうとします。自分の手を見て手と手を触れ合わせたり、じっと見つめたりします。

寝返りからハイハイをするようになると、場所の移動が可能になり、見る目が違ってきます。また、視野が広がり、やがて歩き出すと目線も高くなり、自分の周りのものが見えるようになります。

10ヶ月ごろ目で見て、指をさして伝えようとします。指差しを獲得するということの大切さは人とモノと人の三項関係の成立にあります。バイバイをしたり、してはいけないことがなんとなくわかるのか、人の顔を見ながらしようとします。社会的参照の芽生えといえます。

1歳半ぐらいになると鏡に映る自分を見て、映っているのは自分だとわかります。自分と他者の理解がわかり、他者を見ながら学ぼうと模倣をして繰り返しながら獲得していきます。目で見ることから、他者の存在を知っていくのです。やがて、4歳ぐらいになると相手の気持ちを知ろうともします。かくれんぼでも相手から見てわからないだろうというところに隠れます。産まれてから目で見つめ、自分の体を動かし、また他者を見て、いろいろなことを学ぶようです。

うどん作りも、目で他者の動きを見つめ模倣をすることで道具使用を獲得し、しなやかな身体で表現して、塩水の加減や麺棒の使い方、包丁の使い方を覚えるのでしょう。

1,2歳児クラスではうどんというより(笑)・・・

1歳児クラスでは小麦粉粘土のようなものです。でも足で踏むのは興味があるようです。お友だちの生地も踏もうとします。自由に身体を使って遊びながら作り、形は団子のような形になります。ちぎるのはできるので薄くして指でちぎると楽しいし、薄い方が団子っぽくなくておいしいです(笑)。ちぎった生地を茹でれば出来上がりです。汁はこだわらずに味噌汁があれば、そこへ入れれば食べれます。自分で作ったうどんは美味しいものです。

2歳児クラスでも粘土のように手の平で転がしてへびさんを作って茹でればうどんの出来上がりです。うどんの形は、いろいろあっていいと思います。楽しんで作り、食べれば美味しいものです。

両足とびもできるので踏み方も上手になってきます。自我が芽生え、いやいやの時期ですが、時間に余裕を持ちながらうどん作りを楽しみましょう。道具として麺棒を使えますが目が届かないようであれば必要ないでしょう。へびさんや団子っぽいうどんを作って楽しく過ごせたらいいと私は感じます。

ただ、2歳児クラスとして子どもたちは道具使用の手になります。靴を履きたい、箸を持ちたい、ボタンをはめたいと、いろんなことに興味をお持ち、手指を使っています。小指側からつかんでいた時代から、親指と人差し指でつまんでものをとったりします。道具使用には欠かせないピンセットつまみです。この時期に手指を使い、歩いて足を充分使って運動することも大事だと思います。

 

3歳児クラスのうどん作り

2歳児クラスではない3歳児クラス。一見3歳児クラスも2歳児クラスも変わりがないのでは・・・。これは実に大間違いで、年長児や4歳児の大きな子と同じようにしたい気持ちが表れます。うどんは蛇状のものでは済まなくなります。うどんを作りたくなるのです。自分のことを○○ちゃんと言っていた子が「僕」「私」と人称代名詞を使えるようになります。自分から言っても私は私、相手が言っても私は私、こんなことがわかるなんて、すごいなぁと思います。じゃんけんも、少しずつ理解してきてグー、チョキ、パーの関係も遊びの中で獲得してきます。包丁は難しくても、麺棒で生地を伸ばして、おもちゃの包丁やプラスチックのナイフでうどんの形に切ったりして、本物のうどんに近づけます。言葉が巧みになり、会話も続き、順番に待つということも出来つつありますが押したり喧嘩になったりします。

 

4歳児クラスのうどん作り

私たちは他者のことが気になったり、相手がどう思っているのか考えてしまいます。もし、かくれんぼをしたとき、相手はどこに隠れようとするか、鬼は、なんとなくイメージを描いて見つけようとします。鬼でない子は鬼に見つからないところを探して隠れようとします。なんとなくイメージを先行させて行動しようとします。

うどんに大事な加水率は塩水を小麦粉に加えながら、生地作りをします。4歳児クラスは、このことができてきます。大きい、中ぐらい、小さいという関連性も、だんだん大きくなったり小さくなったりという加減が4歳児クラスの子どもたちは知ってきます。小麦粉に塩水を徐々に加えて生地を作ります。麺棒の使い方が上手になり、斜めの姿勢で体重移動をして生地を伸ばします。加減ということの大事さを知ってほしいと思います。

 

途中・・・

手打ちうどんの難しさ 冬から春の加水率

手打ちうどんの加水率は いつも同じではない

手打ちうどんを作られている方は、当然わかることだと思います。土三寒六常五杯と言われるように、季節によって加水率は変化します。常に50%ではありません。だから難しく悩んでしまう。そこが面白い(笑)・・。

寒い冬が過ぎて春になるころ

雪が降り、こたつに入って暖を取っていた冬から、いつの間にか桜が咲き、ツバメも巣作りに忙しいようです。気温も上がってきました。かといって、そんなに暖かくなく、夏に比べれば過ごしやすい季節です。花が咲き、鳥が囀り、これから夏へと向かいます。なんとなく季節の変わりようが体で感じる今日この頃でごんざります。

この季節が変わる頃、私たちの体も寒くて動かずにこたつに潜り込んでいた時から、そろそろ出かけようかと花見シーズンを迎えます。うどん作りにも変化があると感じるのです。

 

寒い冬から春への変化がうどんの生地に!

私は寒いときの手打ちうどん作りはやりやすいのですが、これから暑くなるとやりにくさを感じるのです。うどん同士がくっついたり、うどん自体の重さで伸びたり、うどん作りの作業が大変になってきます。うどん作りも100gや200gぐらいなら感じないかもわかりませんが、重たいうどんの生地で打つとうどん一本でも真ん中を持つとダラーンとなり伸びることがあります。そこで塩水の塩分濃度を変えたり、加水率を変えたり調節をします。ここに落とし穴が潜んでいます(笑)。

 

手打ちうどんを作っていると日々違う

私たちは、いつもしていることだからと・・・。あまり気にせずに過ごすことがあります。昨日がよかったから今日も大丈夫という気持ちがあります。

寒い冬から春へと向かい、加水率を2%減らしました。これでうどん打ちの作業はやりやすくなり、食しても同じだと感じました。でも、茹でた後の麺を触ると・・・固く感じました。試食すると確かに硬いのです。いつも作っている手打ちうどんとは味が違います。あの時同じだと思っていたのに、今、食べると固く感じる。これはダメだと加水率を確かめました。約1%増やしてうどん作りをして調節しました。0.5%から1%でうどんの味が変わります。量が多いうどん生地を作れば1%は100gだと塩水1gですが1000gだと10gの塩水になります。小麦粉の量が多いと、たった1%でも開きがあります。

いつものうどんの味を覚えているから、考えてしまいます。うどんの作業のやりやすさとうどんの味は比例しないかもわかりませんが、加水率が少ないと捏ねにくいし足で踏みにくい。柔らかいと包丁で切りにくいし、ほぐしにくいのです。試食をしてみるということの大切さや、いつもと同じと思いがちな自分自身に気付かされます。最悪硬いと感じたときは、茹で時間を長くとり対処します。

 

いつものうどんと違うと気づいたのは

うどんを茹でて水で〆て手で触ると、ある程度、いつものうどんかどうかわかります。1,2本試しに食せば、当然もっとわかります。・・・ところがです。それだけでは、本当にはわからないということに気が付きます。やはり、一人前食さなければ感じないところもあります。ひとつは飽きてくる味というか、食べるほどいつもの味ではないことに気が付きます。それは弾力、粘り、もちもちさ、食感です。小麦の味がしなくなるのは塩の入れすぎで塩の味が勝っているからだと思います。でも弾力は塩の働きだと思います。

いつものうどんと違ったのは加水率だと感じました。気候が良くなって温度も高くなり、加水を少なめにしてしまったからです。それに気づくと足で踏んだ時、少し硬かったとか、団子にするとき、いつもより力がいったなぁと・・・後で気づくのです(笑)。これではダメなのですが・・・。

 

美味しいと思えるうどんの加水率

美味しいと思えるうどんは、絶対のど越し、いや、もちもち感と、きっと人によって違うのでしょう。でも美味しいうどんって食したら感じますよね(笑)。人が、ということは言えないので、自分が美味しいと思えるうどんを作る加水率とは・・・。私にとっては難しいですね。ただ、目で見ての判断でオカラ状かどうか、ビー玉状になっているかどうかぐらいはわかると思います。そして、粉状か、粒状かで判断することが目安だと私の場合は思います。次に手触りで決めます。指を拡げて救い上げ、手に当たる感覚で感じたことを記憶しています。昨日より今日はどうかと比べます。そうなんです。前回作った状態を参考にして、今日の状態を考えています。これが大事なのではと思います。昨日、今日、明日はどうしようかということが経験の積み重ねで獲得していくしかありません。もし美味しいうどんを作る加水率はと聞かれれば、何回も作り、昨日より今日、明日というように加水率を決めていくしかないし、加水率は固定されたものではなく、状況によって加水率は変化します。

冬から春へと向かうときは、加水率を少なくすること、逆に、夏から冬は多くすることです。ある程度の数値化は出来ますが、実際に作るときは参考にすぎません。でも、この数値化があるから基準がわかり、そこから足したり、減らしたりします。当然減らすことは入れてしまえばできませんから、加水する前に減らしておきます。水回しの場合、足していくことで決めていくことになります。

模倣で作るうどんと伝統食「うどん」

模倣によって学ぶうどん作りと伝統食うどん

昔、日本へうどんを伝えられたのは長崎の五島うどん、それとも香川県の讃岐うどん・・・。どちらにしても他国、中国から伝わったのだと思います。小麦粉を用いて作り方を広めた「技」、火起こしの道具を使って小麦を焼いて食し、細かく砕く石臼、水車、あるいは機械によって製粉技術の伝来、開発という「技術」があります。これらは模倣によって伝えられ開発されてきたことが多いと感じます。

 

手延べうどんと手打ちうどん

五島うどんや稲庭うどんは手で伸ばしながら細くしていく「技」が伝えられてきました。また、讃岐うどんは生地を伸ばして包丁で切って作る「技」が伝えられてきました。手で伸ばす手延べうどんと包丁切りして作る手打ちうどんの違いは「技」にあります。小麦粉を使った、同じうどんですが作る工程が違い、うどんの断面もおのずと違ってきます。手打ちうどんの断面は四角ですが、手延べうどんの断面は丸みを帯びています。

 

模倣の力

産まれて間もない新生児は当然のように呼吸をします。母乳を飲み、泣いたり、排泄をしたり、繰り返しにより、大きな力を獲得していきます。興味深いのは新生児期ごろ、新生児に対して舌を出すと、新生児も舌をだします。私も見たことがあります。でも2ヶ月過ぎたごろになると模倣しなくなります。これは心理学者メルツォフの新生児模倣と言われるものです。

人は朝に起き、昼に活動し、夜に寝ます。毎日の習慣が身についていきます。生後10ヶ月ごろ、指をさして「アーアー」と言って伝えようとします。また、これをしてはいけないのかなと相手をじっと見たりします。社会的参照と言われ、乳児期に獲得しバイバイもしょうとします。

乳幼児期、目で見て、体で感じ、いろいろなものを自ら獲得しょうとします。教えられるというより、生活を通して見て模倣しようとするように思えます。遊びでも同じことを繰り返すように見えますが、繰り返すことで何か感じることがあるような気がします。繰り返しという量的なものから、何かを感じ捉え質的変化に変えていきます。

二歳児ごろ友だちと遊んでいると、同じことをしていますが自分自分で平行遊びをしたりします。やがて、4,5歳児になると加減を知ってきます。大きいものから小さいものへ、弱くから、だんだん強くへというようなことがわかってきたり、相手の気持ちも感じたりするようになります。模倣の力は大きくなり、スキップ、ギャロップ、飛んだり跳ねたりとしなやかな身体になります。

麺棒を転がし伸ばそうとするのは2歳ごろから出来ますが、道具使用の麺棒は転がして伸ばすものという使用方法を学びますが、力の加減や体重の乗せ方などは難しいと思います。1歳半ごろから両足とびが出来て2歳過ぎごろから斜めの姿勢になって跳ぼうとします。斜めの姿勢が獲得すると麺棒の使い方も上手になり、4歳過ぎごろから力の入れ具合も獲得してきます。

道具使用といて包丁は5,6歳過ぎごろから学んできます。包丁を上手に使えるように左手を添えて右手で切るという両手の働きが分化し。体を体重移動しながら指先に神経をとがらせて表現しようとします。私たちは、見て模倣をしたり、繰り返しながら自らの力を獲得していきます。包丁を使う、麺棒を使うという道具の使用を、より上手くなろうと「技」を獲得していきます。

延滞模倣に学ぶうどん打ち

乳児がスプーンをもって食事をしようとする光景を考えてみます。スプーンで食べてみようねと言って言葉かけをしながらスプーンを持たしても落としたりします。家族と一緒に食べても、最初は手づかみで食べることがが多く、スプーンで食べようとしません。腕の発達は肩から肘、肘から指先へと発達し、乳児のころはスプーンを上げ下ろしして机をたたくという感じです、肘が使えるようになり、手指まで発達すればスプーンで食べるのが上手になってきます。運動機能の発達にもよりますが、模倣をしようとするのは約9ヶ月ごろからと言われています。この模倣は、今行われたことを、その場で模倣をしようとする直接的な模倣です。やがて、1歳半ぐらいになるとやったことを覚えていて、以前模倣したことを自らの力で再現しようとします。これが延滞模倣です。

延滞模倣を獲得すると、3歳ごろからうどんを作ろうねというとイメージを浮かべるようになります。絵を描くときでも、2歳ごろまでは描いた後から意味づけをしていたのに、3歳過ぎたころから、先に車を描くと言って描いたりします。この時期から、へびのようなうどんの形より、うどんの形に似せようとします。私たちはイメージを働かせて模倣を繰り返すことによって、時間が経過してもうどん作りのやり方を覚えて作ろうとします。延滞模倣を獲得して、いろいろなことを覚え、より上手に作ろうとします。

 

模倣の繰り返し

見て学ぶと言われるが、なかなか難しい。例えば、野球ならバットにボールを当てるのに見ただけでは難しく、経験しないとわからないことがあります。同じように、うどん作りで平たく伸ばした生地を包丁で切るにしても経験しないとうまく切れないと思います。

メルロポンティが車の運転で、あたかも車が自分の体の一部に思えるような感覚、また目の見えない人が杖であるくには杖が手の延長に思えるような感覚、道具が自分の体に融合するような感覚が大切なのだと感じます。何回も繰り返しながら、うどん作りで包丁で切りながら、あたかも包丁が自分の体の一部に思えるような感覚を獲得することが道具使用にとって大事なことだと考えます。

 

伝えられてきたうどん作り

昔、うどんは家庭で作られていました。作り方を伝えることでうどん打ちが続けられてきたのでしょう。これらは道具を使った技の伝授があったからです。今や機械がうどんを作り、スーパーに冷凍うどんが並ぶ時代です。もう家庭でうどんを食べるには茹でるだけです。便利になりました。「技」の伝授が消え、機械で作る「技術」が主流になりつつあります。

 

うどん打ちの数値化あるいは融合感

うどんを打つ時に数値化

うどんは小麦粉と塩水でできています。さて、うどんを打つ場合に量が頭に浮かびます。例えば100gの小麦粉で打とうと思うと、塩と水の割合はどれくらい、塩水はどれくらいとイメージします。春夏秋冬、1年間打っていると夏は塩を多く、冬は少なくとかわかってきます。毎日打っていると、昨日はこれぐらいだったから今日はこれぐらいとイメージできます。もちろん、それが正しいとは限りませんが、ある程度の数値化がなされます。一般には小麦粉に対して塩水は50%と言われますが、これはあくまで平均値であり、だいたいの値です。ただ数値化は頼りになり、そこからイメージもわきます。数値化をすることは大事だと思います。

しかし、数値化が出来ないときが大半です。数値化していても、それは過去のことであり、今、目の前にしているものは、温度、湿度、小麦粉などの違いがあります。小麦粉も一袋ずつ異なるかもわかりません。小麦粉の新しい、古い、取れたところも違うかもわかりません。また、自分自身も疲れているときや眠たいときなどで変化します。手が温いときや冷たいときもあります。

これから考えるのは数値化できない状態をどうとらえるのかということです。私は数値化に頼るだけでなく、融合感だと思っています。

 

融合感と間隔感について

私たちの周りには数値化できないものが多くあります。野球で言えば、ピッチャーの玉が150キロなら、そのスピードが数字として出ます。しかし、バッターからすれば数字以上のスピードを感じたり、遅く感じたりします。バッターはヒットを打とうとするけれど空振りする場合、へだたりというか間隔を感じます。上手くミートすれば、その感覚を覚え融合を感じます。経験することで間隔感から融合感へと変化します。これを数値化しろと言われても難しいでしょう。

うどん打ちの水回しで約50%の塩水でしても、どうも柔らかく感じたり、固く感じたり、十分な加水ではないということもあります。なんか隔たりがあり間隔があるのです。

小麦粉を足すということはできないので塩水を、少し少なくして、徐々に融合するように考えます。このとき、気温、湿度などイメージし、小麦粉の色を見たり、手触りを感じて水回しをします。その時の場の環境、クーラーをつけた部屋か、湿度の多い部屋か、小麦粉に含まれる水分は約14%ぐらいとされていますがどうなのか、いろいろな場を考え自分と小麦粉と塩水と対話をします。塩水が少ない状態は間隔感があり、少しずつ塩水を加えて融合するように間隔感を研ぎ澄ますしかありません。

 

融合感を感じるということ

例えば生地を足で踏んで鍛える場合、何回踏めばいいかという質問は難しく答えにくいものです。体重も違いがあるし、また、いつも足踏みを数えてしていることはありません。言葉で表現するには難しく、足の裏で感じるものがあるので、それが融合感としての答えです。1回目は粒状から面として、一つに生地にしていくことと、2回目からは生地からの反発力を感じるしかありません。何回かしているうちに、なかなか伸びなくなり、踵を使って踏んでも伸びにくくなった時が融合感だと思っています。これは個々人違う感覚であって、こうでないとダメだということは言えません。うどんを作って食べてみてわかることだと思います。そして、次はどのようにすれば美味しいうどんを作れるかを考えるきっかけになるものです。数値では表せない融合感を感じることです。

 

経験の大切さ

うどん打ちを何回も経験することで、自分が作るうどん打ちの融合感を感じれます。何回も積み重ねることで体が覚えるものだということかもわかりません。春夏秋冬と一年通して感じることがあり、一日や二日でわかるものではありません。

 

体とモノの融合感

麺棒で生地を伸ばす場合や包丁で生地を切る場合は体がどうあるべきかという融合感を考えます。必ず体重移動を知ることです。これは自然知です。自然な動きを知ることでしなやかな動きになります。人間は乳児の場合、4ヶ月ごろに手を伸ばし吊っているおもちゃに触ろうとします。5,6ヶ月に寝返り、そしてハイハイへと移行します。立って歩くのは1歳過ぎてからになります。そして、跳ぼうとする場合、体を斜めに傾けて跳ぶのが2歳過ぎで、4,5歳ごろから左手と右手が分化して右手に包丁を持ち、左手を生地に添えて切るという動作が確立します。このときから労働としての芽生えが大きくなり、身体全体と指先にまで神経をとがらせて、しなやかな動きになります。

しかし、これが労働としての芽生えであり、より人間らしい動きで労働に磨きがかかります。・・・と私は思っています。麺棒で生地を伸ばす場合、体を、どのように体重移動すればいいのか経験でわかってきます。これが自然を知るということだと考えています。体の動きと生地との間隔感から融合感へと移行していきます。

 

まとめに

数値化できる場合はいいのですが、なかなか数値化できないのが大半です。私たちは自然を知り、体と環境との隔たりを感じ、間隔感から融合感へと移行しようとします。多くのことを経験しながら知っていくことしかありません。人間は労働を生みだし、労働することによって、より人間らしくなるものだと思います。

うどん打ち 麺棒について

うどん打ちの麺棒

うどん打ちに必要な道具といえば、ボール、小間板、麺棒、包丁を思い浮かべます。この中で包丁と麺棒は必要ですね。包丁がなければうまく切れません。麺棒は生地を伸ばして平らにできません。

 

麺棒について

麺棒は生地を伸ばす時に必要です。伸ばし方は生地を麺棒に巻き付けて伸ばしたり、麺棒を転がして伸ばしたりします。麺棒は丸い棒状でないと転がしにくいし生地を伸ばしにくいのがわかります。麺棒は固い材質を好み、値段が高いものはかなり高くなります。私が使っているのはホームセンターで売っている丸棒です。10年使っていますが、さすがに節目が飛び出してきました。節のあるところは固く、そこだけが削られずに浮き上がり、手で触ると凸凹を感じます。そうなれば交換するしかないと感じます。やすりでこするということも考えられますが、今度は丸棒の直径が減ってきますよね(笑)。高価なものは高価なりに使いやすいのかもわかりません。

 

麺棒は何のために使うのか

麺棒は何のために使うのかと思うと、生地を伸ばすことが一つだと思います。もう一つは生地の表面を綺麗にすることです。麺棒は伸ばしことだけを考えれば、麺棒の表面が凸凹であっても使えます。でも、それだけではないのです。生地の表面を考えると麺棒の凸凹は気になります。私にとって麺棒の大事な仕事は生地の表面をなめらかにすることを重点においています。

 

のし台と生地に合った麺棒を選ぶ

これは当然ですが、のし台より長い麺棒を使って生地を伸ばすということは理にかなっていないでしょう。また生地が少ないのに太い麺棒だと巻きにくいと思います。麺棒はのし台と生地の量に応じた長さと太さが必要です。ホームセンターで売っている丸棒は直径3cmぐらいで長さが90cmぐらいだと思います。これなら、ある程度の生地の量にも伸ばせると感じます。私は不自由しません。使っているのし台は120cmです。

 

麺棒には手入れを

麺棒には手入れが大切です。といっても大ごとなものではありません。ただ油をつけるということでしょう。麺棒の手における馴染み、生地への当たり具合を考えて手入れをしています。10年手入れをしたものとしないものとでは、全く変わってきます。

右は手入れをしていない麺棒で節が出て凸凹です。右は油をつけて手入れをした麺棒です。色も艶が出ています。

油といっても私はたいそうな油を使用していません。本来、よく使われるのは胡桃油です。なかなかスーパーでは手に入らないので、私はえごま油を使用しています。

 

日本三大うどんはどこ?

日本三大うどんとは

日本三大祭り、三大花火、三大和牛とか、なぜ三大なんでしょうかね。とにかく三大うどんって耳にしますが・・。誰が決めるんでしょうか?なんとなく一般に思うところの三つなのでしょうか。歴史的に価値があるところか、美味しいところか、独創的なところか、人気のあるところか、まあ、すべてが当てはまるのがいいと思いますが・・・。

 

三大うどんの候補は

三大うどんの候補は五島うどん、稲庭うどん、氷見うどん、きしめん、ひもかわうどん、伊勢うどん、水沢うどん、讃岐うどんなど、たくさん候補があります。

前者は手延べうどんの五島、稲庭、氷見うどん、形状に特徴があるのはきしめん、ひもかわうどん、手打ちうどんでは、柔らかな伊勢うどん、水沢うどん、讃岐うどんがあります。

歴史的には、遣唐使が伝えたという長崎の五島うどん、弘法大師空海が中国から持ち帰ってきたという説があります。稲庭うどんは「稲庭古今事蹟誌」に佐藤市兵衛が伝えたとされています。さて、どこが発祥の地なのかと言われると、長崎か香川かになるようですが、はっきりとしたことはわからない感じです。

形状ではひもかわうどん、きしめんがありますが平打ちうどんされ、日本農林規格ではうどんの一種とされています。手打ちうどんでは讃岐うどん、水沢うどんがあります。

人気では、香川の讃岐うどんが有名で、他県から安いうどんを高い交通費を使って食べに行くぐらいです。製麺所タイプ、一般うどん店タイプ、セルフタイプなどや、風景を楽しめたり、釜玉、釜揚げ、しょうゆうどんなど独創的なうどんの食し方で食べたりします。香川県はうどん屋さんが多く、「うどん県」というぐらいにうどん人気が上昇しました。

 

結局のところ日本三大うどんは

・・・私には言えません(笑)。それぞれの地域でうどんがあり、そのうどんが一番というのもわかります。誰が言ったのか三大うどん。もちろん、うどんは讃岐うどんと私は言いますけれどね(笑)。人それぞれ、違うものでしょうから、まあ、それより、手延べうどん、手打ちうどん、平打ちうどんの伝統ある技法を伝えていく必要があると思います。機械化される今日、さもすると、人のぬくもりある技法が忘れ去られることがあるようで・・・。

美味しいうどんとは家庭で作られるうどんかもわかりません。うどん店で食べるうどんより、おじいちゃんやお母さんが作ってくれたうどんが一番と思うのかも・・。目の前で作ってくれるうどんは簡単に作れるものではなく、人の温かみを感じさせる伝統食です。