模倣で作るうどんと伝統食「うどん」

模倣によって学ぶうどん作りと伝統食うどん

昔、日本へうどんを伝えられたのは長崎の五島うどん、それとも香川県の讃岐うどん・・・。どちらにしても他国、中国から伝わったのだと思います。小麦粉を用いて作り方を広めた「技」、火起こしの道具を使って小麦を焼いて食し、細かく砕く石臼、水車、あるいは機械によって製粉技術の伝来、開発という「技術」があります。これらは模倣によって伝えられ開発されてきたことが多いと感じます。

 

手延べうどんと手打ちうどん

五島うどんや稲庭うどんは手で伸ばしながら細くしていく「技」が伝えられてきました。また、讃岐うどんは生地を伸ばして包丁で切って作る「技」が伝えられてきました。手で伸ばす手延べうどんと包丁切りして作る手打ちうどんの違いは「技」にあります。小麦粉を使った、同じうどんですが作る工程が違い、うどんの断面もおのずと違ってきます。手打ちうどんの断面は四角ですが、手延べうどんの断面は丸みを帯びています。

 

模倣の力

産まれて間もない新生児は当然のように呼吸をします。母乳を飲み、泣いたり、排泄をしたり、繰り返しにより、大きな力を獲得していきます。興味深いのは新生児期ごろ、新生児に対して舌を出すと、新生児も舌をだします。私も見たことがあります。でも2ヶ月過ぎたごろになると模倣しなくなります。これは心理学者メルツォフの新生児模倣と言われるものです。

人は朝に起き、昼に活動し、夜に寝ます。毎日の習慣が身についていきます。生後10ヶ月ごろ、指をさして「アーアー」と言って伝えようとします。また、これをしてはいけないのかなと相手をじっと見たりします。社会的参照と言われ、乳児期に獲得しバイバイもしょうとします。

乳幼児期、目で見て、体で感じ、いろいろなものを自ら獲得しょうとします。教えられるというより、生活を通して見て模倣しようとするように思えます。遊びでも同じことを繰り返すように見えますが、繰り返すことで何か感じることがあるような気がします。繰り返しという量的なものから、何かを感じ捉え質的変化に変えていきます。

二歳児ごろ友だちと遊んでいると、同じことをしていますが自分自分で平行遊びをしたりします。やがて、4,5歳児になると加減を知ってきます。大きいものから小さいものへ、弱くから、だんだん強くへというようなことがわかってきたり、相手の気持ちも感じたりするようになります。模倣の力は大きくなり、スキップ、ギャロップ、飛んだり跳ねたりとしなやかな身体になります。

麺棒を転がし伸ばそうとするのは2歳ごろから出来ますが、道具使用の麺棒は転がして伸ばすものという使用方法を学びますが、力の加減や体重の乗せ方などは難しいと思います。1歳半ごろから両足とびが出来て2歳過ぎごろから斜めの姿勢になって跳ぼうとします。斜めの姿勢が獲得すると麺棒の使い方も上手になり、4歳過ぎごろから力の入れ具合も獲得してきます。

道具使用といて包丁は5,6歳過ぎごろから学んできます。包丁を上手に使えるように左手を添えて右手で切るという両手の働きが分化し。体を体重移動しながら指先に神経をとがらせて表現しようとします。私たちは、見て模倣をしたり、繰り返しながら自らの力を獲得していきます。包丁を使う、麺棒を使うという道具の使用を、より上手くなろうと「技」を獲得していきます。

延滞模倣に学ぶうどん打ち

乳児がスプーンをもって食事をしようとする光景を考えてみます。スプーンで食べてみようねと言って言葉かけをしながらスプーンを持たしても落としたりします。家族と一緒に食べても、最初は手づかみで食べることがが多く、スプーンで食べようとしません。腕の発達は肩から肘、肘から指先へと発達し、乳児のころはスプーンを上げ下ろしして机をたたくという感じです、肘が使えるようになり、手指まで発達すればスプーンで食べるのが上手になってきます。運動機能の発達にもよりますが、模倣をしようとするのは約9ヶ月ごろからと言われています。この模倣は、今行われたことを、その場で模倣をしようとする直接的な模倣です。やがて、1歳半ぐらいになるとやったことを覚えていて、以前模倣したことを自らの力で再現しようとします。これが延滞模倣です。

延滞模倣を獲得すると、3歳ごろからうどんを作ろうねというとイメージを浮かべるようになります。絵を描くときでも、2歳ごろまでは描いた後から意味づけをしていたのに、3歳過ぎたころから、先に車を描くと言って描いたりします。この時期から、へびのようなうどんの形より、うどんの形に似せようとします。私たちはイメージを働かせて模倣を繰り返すことによって、時間が経過してもうどん作りのやり方を覚えて作ろうとします。延滞模倣を獲得して、いろいろなことを覚え、より上手に作ろうとします。

 

模倣の繰り返し

見て学ぶと言われるが、なかなか難しい。例えば、野球ならバットにボールを当てるのに見ただけでは難しく、経験しないとわからないことがあります。同じように、うどん作りで平たく伸ばした生地を包丁で切るにしても経験しないとうまく切れないと思います。

メルロポンティが車の運転で、あたかも車が自分の体の一部に思えるような感覚、また目の見えない人が杖であるくには杖が手の延長に思えるような感覚、道具が自分の体に融合するような感覚が大切なのだと感じます。何回も繰り返しながら、うどん作りで包丁で切りながら、あたかも包丁が自分の体の一部に思えるような感覚を獲得することが道具使用にとって大事なことだと考えます。

 

伝えられてきたうどん作り

昔、うどんは家庭で作られていました。作り方を伝えることでうどん打ちが続けられてきたのでしょう。これらは道具を使った技の伝授があったからです。今や機械がうどんを作り、スーパーに冷凍うどんが並ぶ時代です。もう家庭でうどんを食べるには茹でるだけです。便利になりました。「技」の伝授が消え、機械で作る「技術」が主流になりつつあります。